[第20回]絵本学会大会・報告
[第1日目]5月3日(水)
15:45~16:15 研究発表Ⅰ-B 7号館7202教室
座長:今田由香、生駒幸子
ジャータカとは、仏教の教主である釈迦が前世で為した善行功徳を伝える古代インドの説話である。日本には、漢訳仏典を通して伝来し、土着化していったが、明治期にドイツ文学の影響を受けた「お伽噺」としてインド説話が再話されると、ジャータカは、外国文学として位置づけられる。大正期になると芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をはじめとした仏教童話が発表され、ジャータカは、キリスト教徒であった巌谷小波や蘆谷蘆村の口演童話活動、浄土宗の鈴木積善による仏教日曜学校運動の展開と共に伝道教材として注目される。戦後出版されたジャータカ絵本の作者には、口演童話や仏教日曜学校に関与した内山憲尚等の名前があり、小波・蘆村・鈴木の流れは絵本に継承される。
2017年3月には、中川素子の再話と、モンゴル人画家バーサンスレン・ボロルマーの絵による『あわてんぼうウサギ』が刊行されており、最新の作品では、原話本来の物語性を尊重しながら新しい表現を試みている。
16:15~16:45 研究発表Ⅰ-B 7号館7202教室
児童美術教育の優れた実践者であり二科会会長を務めた洋画家として知られる北川民次(1894.1.17~1989.4.26)の、絵本に関わる活動に着目した。彼が絵本の制作に携わったのは、95年の生涯のうちのわずか3年(1941(昭和16)年~1943(昭和18)年、民次47~49歳)ほどで、この間に『マハフノツボ』(三協社、1942.4.15)『ジャングル』(佐藤義美文、帝國敎育會出版部、1942.7.5)を出版し、『うさぎのみみはなぜながい』(福音館書店、1962.7.20)の原画他を残した。彼の絵本論は「童畫への考察」(『少國民文化』第2巻4号、日本少國民文化協會、1943.4 pp.80-83)と「繪本の材料と印刷技術」(『生活美術』第3巻9号、アトリエ社、1943.9 pp.26-29)に読むことができる。北川のよき理解者であった久保貞次郎もこの間の様子を多く書き残しているため、それらをも加えて「児童絵本」観を考察した。北川の言を借りれば「兒童達は既に、すばらしい物を豫期してゐるのだから、私共は彼等に對して餘りに微温的に過ぎる必要はない」と、絵に「美と迫力」を内包する必要を語り、それを絵本に具現化した。
16:45~17:15 研究発表Ⅰ-B 7号館7202教室
2010年から開催しているユニバーサルデザイン(以下UD)絵本コンクールで、昨年5年ぶりに大賞受賞作品がうまれた。大賞作品は、特定の読者を想定し、「絵本だから表せるものを、よりシンプルに」を目指したことで、逆に多様な人が楽しめる作品となっている。そこに至るには、過去の作者の応募作品での試行や、子どもたちへのUD絵本ワークショップ指導、子ども作品からのインスピレーションがあった。教員から「絵と文字」「ページめくり」「伝わりやすさ」「絵本ならでは」等の、基本的な絵本制作の指導を受けたことも大きい。
子ども応募作品からは、子どもがどんなUDを生みだしていくかを考察してみた。その結果、「楽しさ」こそが「多様な人と共に暮らす」ことに必要なUDと考えている姿、より物の素に近づく表現等が読みとれた。
UD絵本といった時、人々はどんなふうに意識を高め、絵本の可能性を追求していくのか、その過程の大事さを改めて確認できた。
1日目B室では、①森氏と中川氏による「近現代の日本におけるジャータカの絵本化と新刊絵本『あわてんぼうウサギ』」、②永田氏による「『我が国の歴史に学ぶ「児童絵本」観-北川民次の場合―』」、③撹上氏、かわ氏、林氏による「ユニバーサルデザイン絵本ができあがるまで―大賞受賞作品と子ども達の応募作品を通して考える―」の3つの研究が発表された。方向性の違うテーマが集まったかのようにもみえたが、絵本という媒体をどのようなものと考えていくかという視点で、歴史、思想、表現をみつめる姿勢が共通していたように思う。参加者からの意見・質問として、①『あわてんぼううさぎ』の絵の装飾性の由来や意図について、また、仏教絵本の教化的な意味が薄れている現状についての指摘、②民次が絵本を出版することになった背景をより詳しく知りたいという意見、③UD絵本作りのワークショップの実践に関する質問などがあった。短い時間であったが、絵本というメディアと絵本研究の可能性を、発表者と参加者が再発見する機会をもてたのではないか。