絵本学会

ありがとう えほん すごいね えっほん!
撹上久子

野坂悦子さんからバトンを渡していただきました。 野坂さんとは、JBBY日本国際児童図書評議会/IBBY国際児童図書評議会の活動を一緒にしている仲間です。私はJBBYで「障害」のある子どもたちの図書の活動を担っておりますが、野坂さんは翻訳や紙芝居文化の国際的な普及、そして「障害」のある子どもたちにも心を寄せた活動をしてくださっています。
絵本学会には、発足まもない頃に入会させていただきました。学会発足の新聞記事を読んで、嬉しくて入会しました。1997年です。(その新聞とってあります!)事務局は武蔵野美術大学視覚伝達デザイン研究室に置かれていました。たまたまその頃、武蔵美の近くに住んでおり、会報の発送などのお手伝いを時々させていただきました。発送作業などをご一緒した方の中に、いま絵本作家さんなどでご活躍の方もいて、懐かしい思い出です。
本職は、特殊教育(現在の特別支援教育)を経て、臨床発達心理士の資格を取りまして、現在は乳幼児期の母子支援のフィールドで仕事をしております。心理士が働いているフィールドは、多種多様で、命として宿る前から、高齢になって死に至り、思い出として人の心に生き続けるまで、全人生、広範囲な分野に渡っています。
<心理士>というと、臨床心理士が知名度がありますが、その臨床心理士も含め、現在主な心理士資格は複数の学会連合がもとになっている認定機構の出している資格です。人数の大きなところでは、臨床心理士(日本心理臨床学会など)臨床発達心理士(日本発達心理学会など)学校心理士(日本教育心理学会など)があります。いまこれらの心理士資格を国家資格として統一しようという動きがあります。
私は学校現場・保育現場・心理臨床現場で、「障害」のある子どもたちに向き合いながら、この子達からたくさんの絵本に出会わせてもらってきました。これらの現場では絵本は昔から大きな活躍をしてきたと思います。絵本学会では、専門の枠や場を超えた絵本研究が報告され、知り合う場にもなっていきつつあるのではないかと感じています。

写真1- 4は1977年盲学校幼稚部の子どもたちのところに届けられたふきのとう文庫の布の絵本。日本の手作り布の絵本の産声が上がった当時のものです。当時、この幼稚部では、お母さんたちが、お帰りの時間まで校内で待っているあいだの時間を利用して、市販の絵本の絵に手を加えて、我が子のためのさわる絵本を作っていました。うさぎのしっぽの部分にふわふわを貼り付けたり、目の部分に丸いボタンをつけたり・・・その作り方は決して今日専門的な知見で言えば良いものではなくとも、子どもたちは<読んでもらうだけのえほん>とは明らかに違って、自分の頬にそのふわふわなどを押し当てて、キャーキャーいって喜んでいました。(幼い盲児は、手指でなく、まず頬でさわる子が多いです)
知的「障害」のある子どもたちの学校、1、2年6人のクラスで、一緒に担任を組んだA先生は、気品のある素敵な男性でした。3歳の息子さんに絵本を読んであげることをとても大事になさっていましたが、このA先生、お帰りのお集まりのときに、必ずクラスの子どもたちにも絵本を読まれたのです。1970年代後半の話です。その時A先生が好んで読まれた本は、こぐまちゃんシリーズやブルーナーの絵本。いまでいう赤ちゃん絵本ですが、こういった絵本が、登場して間もない頃で、色がくっきりしていて、主人公がはっきりしていて、ストーリーがわかりやすくて・・・、こういう要素がある絵本を読んでもらう子どもたちの楽しそうな反応は、絵本との新たな出会いでした。

その後数年して、肢体不自由養護学校高等部の生徒の担任をしていたとき、絵本『あさOne morning』に出会いました。高校生の年齢の生徒たちに、たとえ、知的レベルが1歳だろうが、赤ちゃん絵本を読むことはできなかった私が、ああ、やっと見つけたと思った1冊でした。この絵本は< Picture books for Young people >で、絵本は幼い子どもたちのためのものだけではないことを教えてくれました。そして、この絵本を世に出した末盛千枝子さんとその後IBBY/JBBYで出会うとは、この時は想像もしませんでした。
教員時代私が向き合った問題は、子どもに線を引き、学ぶ学校を分ける分離教育、さらにその分けた学校の中でも発達段階で子どもに線を引き、課題を分けて設定していく教育のありかたでした。
私は共に育つ教育=共育を求め続けましたが、そんなとき、子どもの本の出版界でも、同じようにそのことに向き合ってくれた本が次々に出版されました。偕成社です。「障害」があってもなくても一緒に楽しめる『これ、なあに?』などの絵本、知的「障害」のある止揚学園の子どもたちの描いた絵がつかわれた『ボスが、きた』などの絵本、共に生きる教育が実現していたスウェーデンの数々の絵本の翻訳・・・ どんなに励まされたことでしょう。1980年代の話です。
某幼稚園で出会ったYくん。自閉症の世界でたくましく楽しく生きていたこの子に私はぞっこんでした。彼は絵本が大好きで、それはご家庭のお力でした。彼がこれ面白いよと私に読んでくれた絵本が『おなら』(長新太 福音館書店)、私はこの子とこの時 心がピッタリ重なって、もう大笑いしてこの絵本を楽しみました。
重症心身障害児者施設でも働かせていただきました。ベットがほとんど毎日の生活空間の方たちと、写真絵本で季節や見たいものを一緒に楽しみました。
自閉症の傾向があるかな?とその発達を経過観察フォローしてきたたくさんのちびちゃんたちがいます。この子達の幼い時の共通特性は、人への関心があまりないこと。人と楽しむことにまだ目覚めてないこと。そのことの発達上の一つの特徴で、指さしが出てこない。でもわたしは人に関心を持ち出し、人が好きになってくれはじめた子どもたちが、指さしをし始めたそのかわいい姿を、何度も何度も目撃させていただいてきました。多くの子が「絵本」で、その指さしを見せてくれました。「日本の電車100選」のような、電車の図鑑的な絵本が圧倒的に多いです。ある時、1歳後半の子どもたちに『ぴょーん』(まつおかたつひで ポプラ社)の大型絵本を読んでいたとき、あのかたつむりの場面で、つかつかと寄ってきて、かたつむりを指さして、ゴニョゴニョ何か言った男の子がいました。私は絵本を読むことに夢中で、「そうだね、かたつむりさんはどうかなあ・・・・」と、ふとその子を見たら、指さしをしなかったはずのBちゃんではありませんか・・・びっくりして、本投げ出して、抱きしめてあげたかったけれど、平静を装おって、そのまま読み続けたのでした。 
つい先日は、『もこ もこもこ』(文;谷川俊太郎 絵;元永定正 文研出版)の大型絵本を読むと、ちょっと人との関わりの上手でない3歳のTくんが、自分も・・と、ちょっぴり恥ずかしそうでしたが、自分のストーリーにして、お友達たちに読んでくれました。
私は絵本から幸せなひとときを、たくさんもらってきました。絵本が嫌いな子に出会ったことはありません。ありがとう えほん すごいね えっほん!

障害の表記について
「障害」と言う表記を私は使っています。「障害」は、個人の身体の中にあるものではなく、社会的な関係の中で生じていくもの、捉えるべきものと考えています。カギカッコは、障害とは何か、問い直していこうという意味で、40年間このようにつけて使ってきました。
 

さわれたよ!もっとさわってみたいな。(1977年 さわる絵本とHちゃん)