絵本学会

むにゃむにゃ日記
あおきひろえ

○月△日
 時計の針もそろそろ正午にさしかかろうか、という時間になるときまって、夫はお昼なんにする?と土間を挟んで向こう側にある自分の部屋から声をかけてくる。うちは自営業だし、この時間にランチとかを外に食べに行くといちばん混んでいるし、だいたいわたしはついさっきまで洗濯物とか掃除とか適当に片付けていて今!やっと筆がのってきたとこなのだ。わたしはほんとうはもうちょっと描きたい。でも、キッカリ12時なのだ、この人は。悲しいかなサラリーマン時代に体内時計が出来上がってしまったんだろうな。ちな
みに夕方5時半になるとキッチリ仕事を終えてビールを呑みだす。あ、そうそううちの夫というのは、絵本作家の長谷川義史です。
 こうして、お昼は近所の店によくランチを食べに行く。この辺はおいしい店が回りにいっぱいあるし、なにより早朝の弁当作りからはじまって、育ち盛り三兄弟の胃袋を満たすために、相当な時間を食事作りに費やしているので、この頃、心底ご飯作りが嫌になるときがある。お昼くらい外食したいじゃないですか。それに案外この時間が夫婦のミーティングの時間にもなっていて、お給仕しなくて良い分手隙になり、いろいろな仕事の相談とか打合せができるチャンスでもある。
 さて、このランチミーティングでなにを話しているかというと、あべ弘士さんが長谷川を動物に例えると◯○◯と言っただとか、担任の女先生の着ている服はいつもワンサイズ小さいんだ、とか、先ずくだらないネタを披露する。それから、長谷川のテキストの「はい、はくしゅ~」というフレーズ、どっかで聞いたことあるなと思ったら、これはケロちゃんの絵本のフレーズだったということを自分で思い出して、どうしようかこれはマズいというので、咄嗟に「パチパチパチ~」にしたら?とグッドアドバイスをしてあげた。こっちはこっちで、表紙に使う絵どれがいいと思う?と悩んでいると、一瞬にして!しかもプロの目で判断して「こっち!」と判断してもらえたりと、お互い重宝しあっている。
 それが夫婦喧嘩をすると、バッタリとランチに行かなくなるときもある。お昼は残り物でアバウトさっさとすませ、自分のいい時間に仕事も一段落つけられたりするが、ただ、困ったことにわたしは福龍園の坦々麺が食べたくてしょうがなくなる。もう中毒なのだ。こじんまりした、お世辞にもきれいとは言えないこの店の担々麺がもう食べたくて食べたくて悶え始める。たぶん麺にシャブが練り込んであるんだと思う。だいたい喧嘩の原因は男が悪いので、こっちから謝る必要はないが、ひとりで店に入りにくいのでしぶしぶ話しかけてなんとなく仲直りする。子はかすがい、ならぬ、うちでは担々麺はかすがいということになる。
 

 
×月×日
 わたしが家事などに時間をとられてる間にも次々と名作が隣の部屋から生まれてくる。わたしはいつも上手だね、と褒める。どんどんいい仕事をするべきだ。なのに、たまに長谷川が海外旅行や自転車ツーリングなど仕事以外の遊びに出掛けるとホッと安堵している自分に気付く。どんどん遊びに行って、どんどん呑みにいってほしい。この気持ちをわかってもらえるだろうか。
 歯ぎしりが過ぎて、犬歯が臼のようになっているわたしだが、長谷川義史の才能はだれよりも早く見出し、知っているのもわたしだ。才能のある人はそれだけで輝いているし、魅力がある。だから、結婚したようなものだ。
 矛盾している正反対の人物が自分のなかに存在しているので気が狂いそうだ。
 
月○日
 絵本をつくるとき、お話もじぶんで書く場合と他の人が書いたお話に絵だけを描く場合があるが、じぶんではそれが全く違うタイプの仕事に思える。
全部を自分でつくる場合はやり易い。つくりたいイメージに、編集者の意見なども取り入れつつひたすら近づけるのだ。他の人のお話をいただくと先ずもって、難しい。いつもそうだが全然自分の世界とかけ離れている気がしてしまうのだ。でも、売れない作家が選り好みをしている場合じゃない。このテキストが自分のものになるように何回もよんで噛み含めて、枕の下において寝る。(おまじない)そうしているうちに、このお話に絵だけで伏線となるお話を描けるんじゃないかという気がしてきて、そのうちアイデアがうまれて
くる。このテキストには出てこないキャラクターを登場させたり、絵のなかだけの行動を起こさせたりする。こうなると、こっちのものとなり作業も楽しくなる。こうしてできたのが中川ひろたかさん作の『おめでとうおめでとう』だ。わたしがどれだけふくらましたかを見てもらいたい。でもこれは、それほど懐の深いテキストであったといえる。
 
月×日
 長谷川さんと合作でなにか、という話を2社からいわれている。1社は長谷川作わたしが絵。もう1社はわたしが作で長谷川が絵というのだ。どちらにしろ、ふたりともあまりやる気がない。というのも長谷川は忙しすぎて、それどころではないようなので、自然にもうやってくれなくて結構ですよ、という気になる。忙しいのは誰よりもわかっているだけに、早死にしたくなければゆっくりやって仕事を断ることもおぼえれば?と言っているくらいなので、「早くして」と言う気にならない、というわけ。いったい、どっちが先にできるんでしょうかね?というか夫婦合作絵本はできるんでしょうかね?
 

 
月○日
 メールは便利だ。突然電話して、相手の時間をもぎ取ることをしなくてもいいし、会ったことのない人でも恥ずかしくない。仕事の打合せなどもほとんどメールですんでしまうことが多々あるが、最初から最後までずーっとメール、というのはどうかと思う。しかもそれがきょうびの若者、とかではなく、あきらかに自分より年上のおっさん編集者だったりすると、こっちもちょっとびっくりする。せめて電話で内容について微妙なニュアンスを伝えたいときもあるじゃないですか?おっさんだって恥ずかしいのかもしれないが、それが仕事でしょ。そして言いにくいことは部下に任せたりして、そのくせ打上げにはにこにこ顔で大阪まで新幹線でやってくる。ツイッターのフォロワー(?)に選ばれました的なメールもよこしたりして、なんでわたしが追跡せんといかんのか?これが恥ずかしがりのおっさんのすることか?わたしは首をかしげてしまった。ほんとにもう、この頃のおっさんは。
 
△月×日
 大阪のある図書館から子育てについてなにかお話を、といわれるがそんな人様に自慢できるような子育てはしていない。どうやってうまく手抜きしながらやってきたか、という話ならできそう。父親の長谷川も自分のこどもに絵本を読んでやったことはほとんどない。あれだけ絵本を作って他所でおばちゃんに読んであげているのに。それを言うと、自分だって親に読んでもらったことは一度もない、と豪語する。人気絵本作家だって、そんなもんです。そういうわたしも読むには読んだが、いつも苦痛だった。その気持ちが通じるのか、うちの子はだれも親の絵本を見ないし、本自体嫌いで、国語の成績も悪い。ゲームやパソコンが大好きなしょうもない子どもになってしまった。子どものことにあまり一生懸命になれない。自分のやりたいことを優先してしまう。そんなわたしが、なにを言
える?わたしは正直に言うつもり。「あなたのほうが、ほんとうにすばらしいお母さん」
 
×月×日
 絵本の仕事が暇なので、この頃落語を習いだした。歩いて5分で行ける『繁昌亭』ではプロの落語家が直に教えてくれる。落語には全然関心がなかったが、一度かぶりつきで落語をみたとき、これは座布団1枚の小宇宙じゃないか!と感激。人物設定や場所も時間も演技ひとつで飛び越える最高級の演劇だ、ということに気付き、それからじわじわと興味が湧いてきた。ただの笑い話のようで、そのなかにはどんな人物が人に好かれ、どんな振る舞いがかっこよくて、どう生きるのがいちばんいいかが見えないように描かれていて、ひたすら感銘を受ける。わたしは落語で阿呆を演じるのがいちばん楽しい。また、よくよくテキストを把握していくにつれ、文章の構成のすばらしさとか、言葉使い、言葉のリズムなど、どれもこれもよくできていて、本当に勉強になる。その話をある編集者にいうと、「あおきさんももう少し落語みたいにおもしろいストーリー書いてみて、いつも話に抑揚がなさすぎるんだよね」と、やぶへびだった。
 入門講座を終了し、桂三枝師匠に「大川亭ひろ絵」という高座名をいただく。絵描きなので、「絵」をつけてもらった。これはちょっと自慢。