絵本学会

<画家=聞き書>のすすめ
上 笙一郎

 長年にわたり著書を上梓して来ていると、面白いことを自覚させられる。出版した自著のなかに、古書市場にしばしば現れるものと、全くと言ってよいほど出現しないものとがあるという事実である。その後者にあたるもの、児童出版美術についての小著のうちでは、『聞き書=日本児童出版美術史』(1974年・太平出版社)と『児童出版美術の散歩道』(1980年・理論社)の二冊が正しくそれだ。
 どうして古書店の棚に姿を見せないのかというと、その訳は、元もとが飛ぶように売れる性質の書物ではなかったのに加えて、類書がなく、買い求めた人が手放さないからである。ずいぶんの前、東京と地方都市の古書店の販売目録に珍しく書名を見たけれど、東京では、著者のわたしが目を剥くほどの凄い高値が付いていた。
 この二冊のうち、『聞き書=日本児童出版美術史』は、日本の子どものためのイラストレーションの歴史をつかむのに欠くことの出来ない基本文献である。明治期より昭和戦前期までに仕事をした児童出版美術家、すなわちお伽絵・童画・抒情画・密描挿絵の描き家たち三十人近くに面接し、その経歴・画業・挿絵観などを聞いて記録したもの。小波・未明・広介・譲治などの童話作家は、文章表現を仕事とする人たちであり、頼まれて書いた随筆のなかにその生い立ちや児童文学観を洩らすことが出来たが、児童出版美術の画家にそのような機会は滅多になかった。だから、わたしが、画家たちを歴訪して採った<聞き書>は、その画家たちのすべて世を去った今となっては<大いなる証言>であって、貴重この上ないということにならざるを得ないのである。
 わたしの『聞き書=日本児童出版美術史』のカバーしたのは、戦前期登場の画家たちだけ。そして現在は、戦後期ももう半世紀をはるかに越えており、<戦後民主主義>時代の申し子であった岩崎ちひろさんや滝平二郎さん世代は亡くなり、1960年代の<児童文学革命期>にイラストレーターとして登場した瀬川康男さんや田島征三さんたちにしてからが、もはや老境に達している。戦後世代の児童出版美術家たち、戦前に比べれば随筆類の執筆を求められることが多くなり、その経歴・画業・挿絵観を綴る機会も増えたと言ってよいだろう。しかし、文筆をもって自身の生い立ちや挿絵観を綴ることの出来る画家はわずかでしかなく、したがって<聞き書>という手立ては、なお以て有効と言わなくてはならないのではあるまいか。
 二次大戦ののち半世紀あまりの日本の児童出版美術史を過不足なく把握するには、画家たちよりの証言が必要だ。みずから文筆を揮って書くことの得意でない画家たちのところへ赴き、その生い立ちから画歴・画観までを<聞き書いて>くれる人の登場を願わないではいられない。そういう人が現れて、戦後半世紀あまりの歴史における主要な児童出版美術家の基本的データをキャッチしてくれたら、それは、児童文化研究史に残る大きな仕事となるのだけれども―― 
 いま、むかしに比べると児童文化の研究者は増えてきたが、児童文学に集中しており、それも作家・作品論に偏っているようで、児童音楽・児童演劇・児童舞踊にリサーチする人はほとんどない。以前より多くなった児童出版美術の関係では、絵本の読ませ方・読み解き方ばかりがあふれており、確実な基礎に立った画家論・画風=流派論・歴史構築などは見ることが出来ない。こうした未開拓の領野の研究を推しすすめるのには確実なデータが必要で、雑誌・文献・探索も不可欠だが、それと並んで、<画家の証言>も重要この上ないのである。
 絵本学会は<学会>であり、児童出版美術的な<創り手>もいるかしれないが、過半以上が<研究者>のはずだ。一篇の論文に長い月日を掛け骨身を削ることも大切だろうけれど、今や老境の児童出版美術家たちの証言取りにも乗り出してくれる人はいないものか。三、四十人の聞き書きを取れば、単行本出版はただちに成就し、それは研究業績にカウントされるが、それ以上に、その採録者の大きくて掛け替えのない研究業績になるのだが。
 ここまで読んで来て、その仕事、わたしが引き受けます―と決意された人があれば宜し。そうでなければ、このわたし、老いの身をいたわりつつも鞭打って、あの画家・彼の画家の許へ出かけ、旧著につづく『聞き書=現代日本児童出版美術史』を編んでしまいますぞ――

(児童文化研究者)