絵本学会

絵本の声を探して
灰島かり

村中李衣さんから、バトンを受けました。李衣さんが語っているのは、声のこと。絵本を語るときに、ぜひぜひ考えたいのが、肉声で読むときのその声のことです。重いバトンにめげそうなので、え~い、ずうずうしくも不肖灰島が絵本を読む声を誉められた、その体験を書かせてもらいますね。私の声は誉められるようなものではないのですが、とてもうれしかった体験です(実は生涯忘れないほど)。
2001年から、ある児童擁護施設に通って、小学校の低学年の子どもたちと絵本を読んできました。養護施設とは、昔の言葉で言えば孤児院です。一昔前は、親と死別したり、親に遺棄されたりした子どもたちが入所していたのですが、近年では親からの虐待で入所する子どもが増えています(私が通った施設は、9割が被虐待児でした)。
ここには勉強を見てくれる大学生など、色々なボランティアが来ていたので、絵本を読むおばさんもすぐに受け入れてもらえました。私は子どもたちといっしょに絵本を楽しみたい(あわよくば、子どもたちから絵本の楽しみ方を教わりたい)という単純で非教育的な理由で通っていました。
多目的ルームというタタミの部屋に、少ないときは数名、多いときは12名くらいの小学1,2年生が集まります。「本好き」だったり「ひま」だったりする上級生が、ふらりと立ち寄ってくれることもあります。常連の2年生に、龍人(りゅうじん)くんがいました(龍神みたいな子どもだったので、私が今つけた仮名です)。小学2年生にしてはひどく小柄で、ひどく乱暴でした。どの子も私の膝で絵本を読んでもらいたがるので、よく膝の取り合いになるのですが、龍人は他の子を突きとばしても断固座ります。「順番」とか、「ほかの子が選んだ本のときは、その子が座る」とか、なんとかルールを作ろうとしましたが、そう言われたときは納得しても、実際には受け入れないのです。5年生のユリちゃんはとても大人で「龍人もそのうちわかるから、がまんしな」と、突きとばされて泣きわめく1年生をなぐさめてくれました。
あるとき絵本を読んだあとで、こっそり龍人を呼んで、ふたりでアメをなめながら「あのさ、1年生を泣かしたら、悪いでしょ」と話し合おうとしました(この場合、ふたりでいっしょにアメをなめていることが大事で、大人なら一杯やりながら、というところです)。口中に甘味という快楽を共有しているうちに、龍人は心を許してくれたらしく「ハイジマはな、きれいな声で読んでくれるから、オレ、(絵本が)すきだ(言外に、だから膝に座るんだ)」とつぶやいたのです。
私は、素直に好意を寄せてもらったことに、すっかりまいあがってしまいました。うれしいのと驚いたので、アメを喉につまらせながらも、なんとか「わたしらは、絵本が好き同士だよね(言外に、だから私は龍人が好きだ)」と伝えました。
後でこの話を、保育士さんにしたところ、ふだん龍人と接している皆さんの驚きようは私どころではなかったのです。
「龍人が『すき』って言ったの? うそでしょ! 口でそう言ったんじゃないよね?」「龍人が『きれい』って言ったの?本当にその言葉を使ったの?」
つまりこの子は言葉で気持ちを表現することが、まったく無い子どもだったのです。施設に来る子どもたちは、ただ虐待を受けたというだけではなくて、命が危険なほどの目に会ったから入所してきているのです。龍人の経験と、心に抱えているものは、もちろん私には計り知れません(ここの子どもたちは、ふだんは屈託を見せることもなく、にぎやかですが、絵本を読んでもらった経験のある子はひとりもいません)。龍人は生まれて初めて、自分に向けて繰りひろげられる物語と絵を受けて、何かが変化したのでしょう。
ええっと、このとき龍人が熱心に見入っていた絵本は『バーバパパのいえさがし』でした。この施設は、大食堂や大部屋を廃止して、10人前後の子どもたちが、ふたりの先生といっしょに、小さなハウスを作って暮らしています。7人の子持ちのバーバパパ一家の暮らしぶりは、施設での暮らし方とどこか似ているのだと思います。みんな、バーパパパのシリーズが大好きでした。もっとも龍人は戦いの場面が無いと、満足しないのです。『いえさがし』では、家をとりつぶしにきた悪役のブルドーザーやパワーショベルと、バーバパパ一家が戦う場面があるので、龍人はここでお尻を跳ねて、とりわけ熱を入れて見ていました。
龍人が私に気持ちを言葉で伝えてくれたのは、このときだけですし、龍人の乱暴も変わりませんでした。でもその後、龍人に膝から降りてもらう方法を、本人が教えてくれたのです。龍人はじめ何人か「自分で絵本を作りたい」と言う子がでてきたので、絵本読みと平行して、絵本作りを始めました。龍人は気が向くと、絵本を作るのに忙しくなるので、膝を独占することが無くなっていきました。とはいえ、これはまた別の話です。
バーバパパ一家には、バーバモジャという見た目も他の子とは違うアーティストがいますが、バーバモジャの毛を、ハリネズミのように尖らせたら、それは龍人のある時期の姿に似ていたのかもしれません。
龍人は熱心に絵本を読み、熱心に作り、しかしほぼ1年たつと、だんだん顔を見せなくなり、いつのまにか、すっかり見せなくなりました。龍人にとっての「絵本時代」は終わったのでしょう。でも記憶のなかに、声として絵本が存在することを、私は信じています。