絵本学会

2002年 絵本フォーラム

「再度、昔話絵本を考える」報告 生田美秋
 今年8月15日(火)、世田谷文学館において絵本学会と世田谷文学館の共催で絵本フォーラム'02が開催されました。絵本フォーラムは参加資格を学会員に限定しない開かれた催しで、通算6回目となります。今回はテーマを「再度、昔話絵本を考える」に設定し、ゲストに児童文学者の松谷みよ子さん、絵本作家の太田大八さんをお迎えしました。第一部の松谷みよ子さんの基調講演の後、第二部は、「太田大八の部屋・絵本作家の立場で考える」(問題提起と司会は藤本朝巳さん)、「川西芙沙の部屋・グリムの昔話絵本を考える」(問題提起と司会は川西芙沙さん)、「岩崎真理子の部屋・日本の昔話絵本を考える」(問題提起と司会は岩崎真理子さん)の3つの分科会に分かれてのディスカッション、第三部は全体のまとめとして各分科会の問題提起者に対する参加者の質疑応答を行いました。第一部と第三部の司会は生田が担当しました。最初に今回のフォーラムのテーマ設定の意図、松谷みよ子さんの基調講演の要旨、次に第二部分科会の内容、第三部のまとめを掲載します。
 今回の大会のテーマの設定には大きく二つのねらいがありました。一つは昔話絵本研究が新たな段階を迎えようとしており、到達点と課題を整理してみたいということ、もう一点は研究の進展にもかかわらず昔話絵本の出版、昔話絵本と読者をめぐる状況が必ずしも良好とはいえない今日、あらためて昔話絵本の意義を確認し、この現状を打開するのには何が必要なのか理解を深めたいという点でした。昔話絵本をめぐる実践的な問題については第三部のまとめに譲るとして、理論面についてフォーラムを企画した企画委員の認識を整理しておきます。
 
●昔話絵本研究の現状
 1970年に刊行された松岡亨子さんの『昔話絵本を考える』は、昔話絵本に関する問題提起の書として画期的な意味を持ちました。松岡さんと東京子ども図書館の人達はフェクス・ホフマンの『七わのからす』の昔話絵本としての問題点を具体的に検討し次の結論を導き出しました。
松岡さんたちは昔話絵本の意義を認めながらも「昔話絵本が昔話から奪うもの」として、
 
イ、お話しでは物語を語る視点(主人公)自体が動くのに対し、絵では画家の視点から物語(主人公)が動いていくのを見ることになる。
ロ、絵が前面に出てきて、視角以外のイメージが後退する。
ハ、お話しは刻々と動いていくものであるのに対し絵はどこか一点で止まっているもの。
ニ、ことばからは受け手がめいめい独自のイメージをいだくことができるが、絵本からは画家のイメージを受けとることになる。
 
 以上四点をあげ、絵本になりにくい昔話の存在すること、安易な昔話絵本の創作、特に出版社の昔話絵本刊行の姿勢に警鐘を鳴らしました。
 
 これに対し、昔話絵本の代表的な作家赤羽末吉さんは、『私の絵本ろん』で、『七わのからす』をホフマンの「センチメンタルな体質によるマイナス面がでた作品」とし、「この最も不出来と思われる一作品を分析して昔話を絵本化するという一般的で根本的な問題にすることは、いささかムリではなかろうか」と反論しました。児童文学者の松居友さんも『わたしの絵本体験』で、松岡さんたちの「昔話絵本を通じて受けとめると、その影響が強いだけに、画家のイメージをおしつけることになる」というのは思いすごしにすぎないとし、「昔話にしろ、名作ものにしろ、画家がどんどん視角化絵本化して子どもに伝えるとよい」と主張しました。松居さんは、『昔話の死と誕生』『昔話とこころの自立』で、子どもの成長にとって昔話や昔話絵本の果たす役割の重要性を自身の体験(松居友さんは松居直さんの子息)や深層心理学の研究を踏まえて精力的に展開しています。昔話が子どもの精神的自立の上で果たす役割については、心理学の分野で研究が進んでおり、ベッテルハイムの『昔話の魔力』や、ユング心理学の河合隼雄さんの『昔話の深層』によって、その有効性が指摘されています。
 
 藤本朝巳さんの『昔話と昔話絵本の世界』『子どもに伝えたい昔話と絵本』は、昔話絵本研究を新たな段階に導きました。
『こぶじいさん』『三びきのこぶた』『おだんごぱん』『てぶくろ』『あかずきん』『こびととくつや』など昔話絵本として定評のある作品を題材に、昔話研究の成果を踏まえて昔話絵本のテクストの構造分析を行い、次いで昔話絵本におけるイラストレーションの特徴を具体的に解明しています。
 
 瀬田貞二さんは『絵本論』所収の「『ねむりひめ』の構成」において、昔話絵本のテクストの構成分析と、そのテクストをイラストレーションがどのように展開しているかを鮮やかに分析しました。藤本朝巳さんの研究はこの手法をさらに押し進めたものといえます。藤本さんはテクスト分析で、マックス・リュティや小沢俊夫さんの昔話研究の成果を取り入れ、発端句や結末句、援助者の役割といった昔話の構造、一次元性、極端性、平面性などの昔話の特質、くり返しやことばのリズムなど語りの法則を、イラストレーションでは、視角化する部分としない部分、控えめな描写、余白の効果、確かな時代考証、残酷な場面の描写、背景と小道具、色の選択、時間・空間の描写を具体的に作品を通して分析し、すぐれた昔話絵本の特色を明らかにしました。今後は、分析の対象作品を拡げていくことと、昔話絵本の比較研究、昔話絵本作家の研究、第三部のまとめに揚げた実践的な課題の検討なども重要な研究テーマとなってまいります。
 
●松谷みよ子さんの基調講演
 松谷さんは木下順二の民話の会に入り、もっと自分の生まれ育ったこの日本を知りたいと信州に昔話の採話に出掛けたのが民話との出会い、出発点だったと前置きし、自身の昔話絵本の内容、再話の苦労、画家とのやりとり、出版の経緯などをエピソードを交えてお話しいただきました。取り上げられた絵本とお話しの要旨は以下の通りです。
 
『きつねのよめいり』
おばの家で初めて聞き、福音館書店の松居さんと相談して出来た絵本です。瀬川康男さんとの最初の共作で、物語りと絵がぴったり合った思いで深い作品です。
『いないいないばあ』
一冊の本を媒介として親子が楽しく遊べる絵本を目指して作りました。めくりに著作権があると言われました。当時は赤ちゃん絵本が少なく貴重な絵本だったのです。昔話絵本ではありませんが、私は同じ系列の絵本だと思っています。
 
『ももたろう』
従来の桃太郎は「気は優しくて力持ち」で、戦時中軍国主義の教育に便利に利用されました。私のは「食っちゃ寝、食っちゃ寝」の人間くさい『竜の子太郎』と共通点の多い桃太郎になりました。お伴にうさぎを加えています。各地に伝わる昔話の聞き書きに当り直し、うさぎを加えることにしました。再話者が数多くある桃太郎の聞き書きの中からどれを採るか、絵本作りにおける再話の重要性を強く意識した絵本です。
 
『こめんぶくあわんぶく』
まま子にいじめられた娘が長者の娘になるという日本版のシンデレラ話です。太田大八さんの絵で美しい絵本に仕上がりました。日本とヨーロッパで類似の昔話のあることを知っていただければと思います。
 
『やまんばのにしき』
テンポのいい語り口の秋田の昔話に、瀬川さんが絵巻を思わせる豪華で動きのある絵を付けてくれました。私の昔話絵本の代表作の一つです。品切れでしたがまもなくフレーバル館から再刊されます。
 
『さるのひとりごと』
出雲の昔話集から再話した話で、この話と出会って是非絵本にしたいと出版社を説得して出た絵本です。出版社は五大昔話に代表されるポピュラーな昔話絵本を出版したがります。私はその要請を断って聞き書き集に当たって新たな魅力を持つ昔話の絵本化に努めてきました。司修さんが工夫をこらしてくれて楽しい絵本になりました。
 
『まちんととぼうさまになったからす』
わたしたちにも分かる戦争の話を書いてという子どもたちの声におされて作った絵本です。絵は司修さんで、語りのリズムを大切に、現代の民話として書いた絵本です。最終場面に編集者の反対を押し切って「カラスよ二度と海を渡るな」とあえて記しました。
松谷さんは、民話は民衆が語りついてきたものであり、民衆のものであるという立場を鮮明にした上で、各地に伝わる昔話の原話(聞き書き)から自分が良い、面白いと共感できる話をさがして絵本のイラストとしたこと、昔話の独特の語り口やリズムを大切にしてきたことを強調されました。お子さんやお孫さん、文庫に来る子どもたちが絵本にどう反応するかも必ずそれぞれの絵本の紹介の中でお話になりました。松谷さんは最後に宮川ひろさんの「語りは心の母乳です」という言葉を紹介し、子どもは両親の語りを聞いて過ごすうちに心を豊かにし、強くしていくものですと講演をしめくくられました。
(いくた・よしあき 世田谷文学館・運営委員)
 
●第2部 談話サロン「太田大八の部屋」の報告
 この部屋は、絵本作家であり、この学会の前会長でもある太田大八先生をお招きし、昔話絵本について考えました。会の進め方としては、「絵本作家の立場で考える」と題して 、運営委員の藤本朝巳が司会をし、たくさんの昔話絵本を描いてこられた太田先生に興味 深い話を伺いしました。
まず、藤本が昔話とは代々、語り継がれてきたものであり、本来は「語り」であり、語られるときにのみ存在する「時間の文芸」であるという基本的な考えを述べました。その上で、柳田國男の「昔話とは、『昔々ある処に』という類の文句で始まり、話の区切りごとに必ずトサ・ゲナ・ソウナなどのことばを付けて、それが又聴きしたものであると示しながら、最後は『めでたし、めでたし』のようなことばで締めくくるものということばを紹介しました。柳田は、「昔話は口と耳とで世に流布していた」とまとめています。これらのことばから、口承されてきた昔話は、文字による文芸ではなく、語り手と聞き手の間に共有されて存在する「語りの文芸」であるということができます。ところが、昔話絵本は、本来「語りの文芸」である昔話を「読む文芸」にし、さらに、「時間の文芸」である昔話をイラストレーションで目に見えるように「視覚化する文芸」であるといえます。ですから、昔話を絵本にする際には、いろいろ配慮する必要があり、難しい問題が起こることを述べました。
 これらのことばを受けて、太田先生は、昔話を絵本化するということは物語をイラストレーションで描くことであり、絵本作家の立場から言えば、調べる楽しみがあるとおっしゃいました。例えば、描こうとしているその昔話が、いつの時代の、どこの地方の話で、その当時、道具にはどんなものがあり、家の造りはどうなっていたなどということを調べるのは、画家としての楽しみであるということです。太田先生は、つい最近、沖縄
に伝わる昔話「わらしべ長者」を絵本になさったそうで、その際、時代的なことをどう表現しようか、沖縄の色をどう表現しようかと、調査をしてお描きになったそうです。またさまざまな工夫をして、内容・表現をファンタスティックにお描きになったそうです(この作品は近々出版されるそうで、大変楽しみにしています)。
 続いて、藤本が昔話絵本『やまなしもぎ』(平野直再話、太田大八画)を紹介し、その場で開き読みしました。そして、この昔話の構造や語りの様式を簡単に説明した上で、昔話「やまなしもぎ」を、太田先生がいかに解釈、工夫し、見事に描いておられるかを解説致しました。特に、イラストレーションの色合い(初めは薄めに、昔話の盛り上がりに合わせて、だんだん色合いを濃いめにし、鮮やかさを増してある、また必要な道具を、この昔話に合った色で適切に表現してある)、三人の子どもの表情の使い分け、恐ろしい魔物を不思議な形態に仕上げ、またおどけた表情で描いてある点、最後に昔話そのものにはないが、結末を、元気になった母親と三人の子どもたちの幸せそうな様子で描いてある点など、イラストレーションをお見せしながら紹介致しました。
 その後、会場のみなさんからも、熱心な質疑が出され、応答があり、昔話絵本の魅力について楽しい語らいを持つことができました。太田先生は、「絵本と絵本学会の将来についても含めて、『絵本とは何であるか』」という問いに対し、「絵本は子どもの人間形成に大切な要素を持っている。絵本は子どもの感性を豊かにし、絵本を通して、子どもたちの世界が広がる」とおっしゃいました。さらに、子どもの本を広めるために、ご自分でも情報を伝え合うための運動(wave)を展開なさっていることを紹介されました。先生は、文庫や読み聞かせの活動をなさっている方々が同じ意識を持って、子どもの本の活動が世界全体に広がっていくことを願っているとあつく語って下さいました。
 昔話を絵本化するときに、守るべき大切なことがあります。その一つは、昔話のもつ「語りの法則」やその話の語られた時代を尊重して欲しいということです。語りで伝えられたものには共通の語りの様式や、共通の物語構造がありますから、「語り」を文字化する際にも、その「伝承の型」を重んずべきです。また絵にする際も、その話のもつ時代性、地域性、文化などを、よく調べて描くべきです。おそらく、長い間、読み継がれ
ている 名作昔話絵本というものは「語りの法則」や「伝承の型」を重んじ、きちんと時代考証して作られた昔話絵本であると思われます。これらの昔話絵本には、文体にもイラストレーションにも、昔話絵本としての大切な要素がきちんとそなわっています。
(昔話や昔話絵本の中には書き換えられているものもあります。その理由はさまざまですが、ときに大切な要素が落ちていたり、筋そのものを変えてしまっているものもあります。また昔話では、さまざまな観点から、残酷な面も重要な要素の一つですが、教育的配慮として改ざんされる場合もあります。しかし昔の人が数百年も大切に守り、語り継いできたものにはそれなりの理由があるのですから、安易に書き換えることは慎むべきです。伝承の意味も考慮して絵本化がなされるべきです。
 一方で、昔話に一歩踏み込んで絵本化することも盛んです。最近は昔話をパロディー化したものにすぐれた絵本が出ています。このようなケースは、昔話絵本というより、昔話を絵本化したものを用いて、読者に人生を考えさせたり、子どもの批判精神を育てる目的もあるようです。昔話絵本には、型を重んじたもの、すぐれたイラストレーションをつけて、その昔話の時代や文化を伝えようとするもの、また、民衆の語り継いできた昔
話本来の笑いや皮肉の精神を表現したものなど、さまざなものがあっていいと思いま
す。)
 会の終了後、太田先生を囲んでのサイン会が催され、楽しい雰囲気のもとに、有意義な会は閉じられました。

(文責 運営委員 藤本朝巳)

 
●第三部のまとめ
 第三部は分科会の報告者とゲストの太田大八さんが舞台に上がり、会場の参加者の質問に応える形で進行しました。活発な質疑が交わされましたが、今後も重要な検討課題だと思われる点に限って記しておきます。
 
●昔話絵本における差別的表現と保守的な思想の問題
以前にも『シナの五にんきょうだい』をめぐって絵本における思想の問題がするどく問われたことがありました。昔話は民衆が数百年前から語り継いできた伝承文芸ですから、そこには性差別や民族差別、大人の価値観のおしつけ、現状肯定の思想など歴史的な刻印を色濃く残していることは否定できません。『ももたろう』は戦争中に、国策を推進する道具として使われた経験を忘れるわけにはいきません。面白いから、子どもが喜ぶからといって無自覚に昔話絵本を読み続けることには慎重であるべきです。既に歴史的使命を終えている絵本か、文芸として価値を保っている絵本か、個々の昔話絵本の具体的な検討が必要です。絵本は子どもの幼児期に繰り返し読まれることによって意識形成、人格形成に深く関与するだけに昔話絵本のすぐれた面だけを強調し、昔話なら何でもいいという姿勢はさけなければならないでしょう。
 
●語りか昔話絵本か
松岡享子さんたちのように、昔話は口承文芸でありあくまで語りが基本、絵本化はふさわしくないと主張する人が今も少なくありません。昔話の語りか昔話絵本かではなく、それぞれが昔話の有効な表現の形成と理解すべきではないでしょうか。昔話絵本を読み聞かせれば昔話の語りは必要ないというものではありません。フェリクス・ホフマンはグリム童話が語りの文芸であることを踏まえて、子どもにはまず童話を読んで聞かせその後自らの絵本を与えたといいます。
 
松岡享子さんの『昔話絵本を考える』の否定的な側面ばかりを強調してきましたが、この本が日本の昔話絵本研究の上で果たした大きな意義を認めないわけにはいきません。昔話の語りの長所と短所、絵本の長所と短所は当然あります。分析の対象が一作品のみであった点は問題だったとしても、この本には昔話絵本研究に限らず視角表現としての絵本の研究上重要な意味を持つ指摘が数多く含まれています。
 
●昔話絵本のテクストはどうあるべきか
 昔話絵本のテクスト、再話については二つの考え方があります。語り継がれてきた話をそのまま活字化すべきだという意見と、その昔話が一番言いたいことや考え方、思想を大事にすれば、その表現については変えてもいい、むしろ芸術的な資質を高めるために再話者が昔話を脚色していいという意見があります(後者が木下順二さんの「民話の会」)。どちらがいいか難しい問題です。方言を生かすべきか、現代の子どもたちにも分かるように標準語とすべきか、議論は続いています。しかし、数多く出版されている筋そのものや残酷な場面を安易に書き換えた昔話絵本に対しては、昔話の語りの法則や語りの構造の特色、残酷な場面の意味など昔話に対する正しい理解にもとづいて絵本化してほしいと思います。
 
●昔話絵本の出版と読者をめぐる状況
 グリム童話の絵本やアジアのすぐれた昔話絵本の翻訳が目をひく反面、日本の昔話絵本は元気がありません。作家、画家ともに新しい書き手が育っていないという気がします。書店では特に中・小型店で安易な内容、イラストの昔話絵本のシリーズや、昔話を題材としたアニメーション絵本が目立ちます。読者をめぐる状況も厳しく、都市化、少子化、核家族化の進行によって昔話を知らない大人が増え、伝承は難しくなっています。あらためて昔話絵本を再認識し、現代にふさわしい伝承の方法を考える必要があります。
 昔話絵本には、絵本に共通の意義と昔話絵本に固有の重要な意義があります。一つは昔話絵本はほかのどんな子どもの絵本よりも喜ぶこという事実です。単純明快でハッピーエンドで終わるストーリー、事実を積み重ね徐々に盛り上がる構成、繰り返しの面白さ、テンポの良い語り口など昔話絵本は面白い物語の基本的な要素を満たしてして、それが子どもの心の働きにぴったり合致し、子どもをひきつけるのです。幼い頃に昔話絵本を通して物語の面白さやすぐれた絵の魅力を実感することは、その後の読書や文学、美術の扉を開く契機ともなります。次に昔話絵本は、生きていくための知恵や勇気、自然観や世界観など人として最も基本的なことや生きる指針、子どもが成長する道すじ、困難から抜け出る解決法を示しています。
 三点めは、最近特に注目されている昔話が子どもの精神的自立に果たす役割についてです。昔話絵本は、子どもたちを楽しませながら、同時に自分自身につての目を開かせ、無意識に働きかけて子どもの自立を促すことが、心理学の研究で明らかになっています。少子化や核家族化、都市化の急激な進行、過保護と放任、父親の不在と母親の過度な影響力など子どもを囲む家庭環境の悪化によって、現代は子どもの精神的自立が難しい時代と言われており、昔話絵本の意義は益々重要になっています。昔話絵本研究の進展が、昔話絵本に携わる作家や画家、編集者、読者をめぐる状況の改善につながることを期待したいものです。

(いくた・よしあき 世田谷文学館・運営委員)