絵本学会

2000年 絵本フォーラム

 絵本学会主催の絵本フォーラム2000が、「こども、絵本、いのち」のテーマのもとに、8月6日(日)ゲートシティ大崎で開催された。今年は「子ども読書年」にあたり、絵本学会のほかに日本児童出版美術家連盟、日本児童文学者協会、日本国際児童図書評議会、子どもと本の出会いの会などの団体が、「ドキドキワクワク子どもの本ワールド」を開催、7月20日(祝)~8月13日(日)の会期中展示や講演、お話し会やパフォーマンスなど多彩なイベントが繰り広げられた。絵本フォーラムは、この「子どもの本ワールド」の中の一プログラムとして行われた。参加者は72人(会員16人、非会員56人)。
20世紀最後の年、日本では命を軽視した少年犯罪、非行、家庭内暴力、登校拒否、いじめが大きな社会問題となっている。戦後の日本は、経済成長を最優先に中央集権的、画一的な政治が行われ、その結果市民の生活水準は飛躍的に向上する一方で、親子の断絶、市民間の連帯意識の喪失、心の荒廃などの問題を生じた。この様な効率優先の政治への反省がいま、求められている。子どもたちの心と身体に何がおきているのか、荒廃の原因は、子どもの心理発達と絵本のかかわり、絵本や読書が人格形成期の子どもに及ぼす影響は何か。研究者や絵本作家に限らず絵本に関心を持つ全ての人々が、絵本と同様にそれを読む子どもの心と身体の変化に関心をはらうことが必要となっている。今回のフォーラムのテーマ「こども・絵本・いのち」は、この様な状況を踏まえ企画委員会で決定した。
問題提起は、作家の立場から田島征三氏(絵本作家)、児童文学者の立場から桂宥子氏(岡山県立大学助教授)、絵本専門書店の立場から三輪哲氏(名古屋メルヘンハウス)にお願いした。田島氏、桂氏は絵本学会委員。「子ども読書年」の今年は、各地で関連の催しが行われている。そのこと自体は喜ばしいのだが、一過性のイベントに終わらせてはならないこと、「子ども読書年」イコール「大人の読書年」でもなければならないという点を、あえて強調しておきたい。
絵本フォーラムは、東京での年1回の定期開催を中心に、昨年度の大阪絵本フォーラムのような東京以外の地域での学会主催の絵本フォーラム、今年の山形での絵本フォーラムのような地元の絵本サークル、団体との共催による絵本フォーラムなど、各地での開催を推進していきたい。
また、企画委員会では学会員はもちろん学会員以外の方にも幅広く参加していただけるさまざまなイベントを計画している。いずれも積極的な提案を学会事務局までFAXでお寄せください。(生田美秋/世田谷文学館・絵本学会運営委員)
 
●第一部 問題提起
■問題提起で言及した作品リスト
1 The Highwayman(『追い剥ぎ』
Alfred Noyes. ill. by Charles Keeping
Oxford : Oxford University Press,1981.
2 『まどのむこう』
  チャールズ・キーピング 絵・文、いのくま ようこ訳、らくだ出 版、1997.
3 『ジョセフのにわ』
  チャールズ・キーピング絵・文、いのくま ようこ訳、らくだ出版、1971.
4 『葉っぱのフレディ』
  レオ・バスカーリア作、みらい なな訳、童話屋、1998.
5 『ラヴ・ユー・フォーエバー』
  ロバート・マンチ作、乃木りか訳、梅田俊作絵、岩崎書店、1997.
6 『てぶくろ』
  エウゲーニ・M・ラチョフ絵、うちだ りさこ訳、福音館書店、1965.
7 『オーラのたび』
  ドーレア夫妻作、吉田新一訳、福音館書店、1983.
8 『わたしと あそんで』
  マリー・ホール・エッツ 絵・文、よだ じゅんいち訳、福音館書店、1968.
9 『いりえのほとり』
  A.C プーシキン作、T.マーヴリナ絵、うちだ りさこ訳、ほるぷ 出版、1984.
 
●第二部 桂宥子の部屋報告
桂氏は、カナダのトロントにある元トロント公共図書館「少年少女の家」にただひとり日本人司書として勤務。その経験をもとに児童図書館の理想像を提示した著書『理想の児童図書館を求めて』を刊行、大きな反響をよんだ。
桂氏の談話サロンでは1.子どもの心の荒廃と「クオリティ・オブ・チャイルドフッド」2.カナダと日本の図書館の違い3.図書館における絵本の選択4.絵本の選択基準5.カナダの「ボーン・トゥ・リード」運動などの問題が議論された。
 
1. 17歳の少年たちの凶悪な事件は、17歳という年齢が問題なのではなく、子ども時代の質「クオリティ・オブ・チャイルドフッド」に問題があるというのが桂氏の主張である。少年たちの心の荒廃を防ぎ、生命の尊厳、他人への思いやを理解させる方策として子どもたちを取り巻く環境の再検討に加えて、子ども時代の読書の意義を見直す必要がある。松岡享子氏も東京子ども図書館での長年の読み聞かせの経験を踏まえて、子どもの現状と未来への深い憂慮を表明する一人である。読み聞かせ中の子どもの変化として、「くり返しの所でつまらなそうにする子どもがあらわれた」「お話しに対する子どもの反応が弱くなった」「おかしい話をしても笑わない」「内容的に軽いもの、絵の多いものを読みたがる」「話し手の目を見ない」「じっとしていられない」などの特徴をあげる。その原因として、詰め込み教育、親子の対話の機会の減少、テレビやテレビゲームの影響などの教育や社会の問題と体を動かして遊ぶ機会の減少、大脳の活動水準の低下など子ども自体の身体的変化を指摘し、子どもの知的、情緒的、精神的発達の上で、読書が非常に大きな役割を果たすことを強調する。子どもの心理発達と絵本については、佐々木宏子氏の『絵本と子どものこころ』『絵本の想像性』などの研究があるが、児童心理学の成果を取り入れながらさらに研究をすすめることが重要かつ緊急の課題となっている。
 
2.カナダのトロントと日本の図書館には大きな違いがある。トロントでは児童図書の図書館員は腰を据えてじっくり子どもの本と向き合えるのに日本では職員の異動が多く絵本を扱うプロの児童図書館員が育つ環境にない。日本は図書館の普及率が高く、絵本を含む児童図書の冊数は多いのだが、残念ながら絵本を扱うプロの図書館員が極めて少ないのが実情である。図書館の専門職としての司書の地位、大人の本と絵本の同列視など改善すべき点は多い。桂氏は『理想の児童図書館を求めて』の中でも、子どもと良書の橋渡しをするプロの児童図書館員、司書の大切さを力説している。
 
3.図書館における絵本の選択については、税金で運営されている以上特定の作品を選ぶのは好ましくないという意見と、大切な税金を使っているからこそプロの図書館員が絵本をセレクトし、良いものだけを子どもに提供すべきであるという二通りの意見がある。日本では前者の意見の人が多く、カナダでは後者の意見が一般的である。ここには、日本とカナダの図書館に対する認識の違い、絵本観・子ども観の違いが端的に現れている。子どもが自分自身で選べる本の範囲は限られている。どれを手に取っても同じくらいの質が約束されていれば良いのだが、そうでないのが現実である。子どもの感受性豊かな時間は短く、限られている。この時代に良い読み物、本物に触れさせることが大切であり、大人の義務であるというのが桂氏の主張である。前掲書の中で、公共図書館の厳しい絵本選択が出版界の質的向上に一役買っているカナダの実情が報告されている。
 
4.サロン参加者それぞれがどのような基準で絵本をセレクトしているのか、選択の基準について意見交換を行った。「自分がよい(面白い)と感じたもの」「ストーリーもイラストも含めて美しい本」「絵本を読んでいる仲間が集まって選んでいる。個人で選ぶより偏らずに選べるのでは」「子どもの心にストンとくる絵本を選んでいる」とさまざま。桂氏は、解説書や他人の意見に耳を傾ける姿勢も大切だが、自分自身で読んで肥えた目で子どもに合った絵本を選ぶ姿勢、古典を大切にする姿勢こそ大切にしてほしいと語った。
 
5.最後に、親と乳児に絵本を贈るカナダの「ボーン・トゥ・リード」運動の紹介があった。子どもが絵本と出会う機会を個々の家庭にゆだねるのではなく、全ての子どもが絵本と出会う機会を保障する制度として確立しようというユニークな取り組みである。日本でも、「子ども読書年」推進会議が、乳幼児を対象とした「ブックスタート」の導入に向けて動き出した。11月4日(土)にはブックスタート国際シンポジウムが英国のブックスタート関係者を招聘して東京国立博物館で開催された。絵本研究者は、「読み聞かせ」や「ブックスタート」などの運動にも強い関心を持ち、積極的にかかわることが求められている。

(生田美秋)

 
●田島征三の部屋報告
第一部の問題提起の部では、今回のテーマ「こども・絵本・いのち」に因んで、司会者がまず、田島さんの著書『絵の中のぼくの村』の内容に触れ、田島さんの子ども時代についてたずねました。田島さんは、幼いころのさまざまな体験の中から忘れられないエピソードのいくつかを語ってくださり、その体験をもとに作品『しばてん』ができあがった経緯を話してくださいました。作品には、人が体全体で体験したことが自ずとにじみ出てくることがよくわかりました。
続いて、田島さんが東京都西多摩郡の日の出町に移って、自然とともに生きていく中から、いのちの貴さを学んでいかれた経過を楽しく話してくださいました。田島さんは「こどもと絵本」について、例をあげながら、ときに真剣に、ときにユーモアを交えて話してくださいました。私たちは、自然の中で、また子どもと真正面から向き合って生きていく生活から作品『ふきまんぶく』や『やぎのしずか』のシリーズが誕生してきた経過を聞き、現代の子どもに「精神的な豊かさ」が必要なことを感じさせられました。
田島さんは絵本は一時にたくさん売れるより、少しずつ長く売れ続けることが大切であると語ってくださいました。私たちは、現在の本の販売状況を考える上で貴重な意見と受けとめました。さらに「こども・絵本・いのち」を考える上で、本は大人が押しつけるのでなく、子どもの目を借りて選んでいくことが大切であると語られました。美しいとか汚いという大人の感覚と、子どもの感じる意識とはそのまま同じではないことをあげ、本の評価を大人がしてしまわないようにと語ってくださいました。
さらに、環境汚染問題に取り組み、「日の出の自然を守る会」をとおして、第二廃棄物広域最終処分場建設に反対してきたことを熱く語ってくださいました。ゴミ処分問題への鋭い警告は、そのまま田島さんの生きる姿勢であり、「命のすばらしさを伝えたい」という田島さんの言葉が表すように、自然に敬意を払って生きていくことが、そのまま「こどもといのち」を守ることにつながっていくのだと考えさせられました。そして、最後に制作中の作品『木の実』の絵本を自然を重んじて製作している様子を伺いました。当日は大勢の人たちが集まってくださいましたが、田島さんの作家としての厳しい姿勢と自然と親しんできておられる自然体の姿の、ありのままのお人柄が感じられ、楽しいひとときを過ごすことができました。

(藤本朝巳)

 
●三輪 哲の部屋報告
日本で最初の「子どもの本屋さん」として知られている三輪さんの部屋には、編集者・保育者・学生・司書・読者・母親などなど、さまざまな立場から絵本とかかわる人たちが20名集いました。みんなの顔が見渡せるようテーブルを円く囲んで、自己紹介をかねながら、第一部についての感想や三輪さんへの質問などを話していきました。その一部をご紹介します。
まず最初に、三輪さんの「『子どもが本を読まなくなった』のことばをもう聞きたくない!」との発言を受けて、参加者から、「子どもの本離れというけれど実際はどうか?」という質問がでました。幼児期の子どもたちの絵本との出会いは決して減っているとは思えないけれど、一番大きな問題は、児童期からの読書感想文だろうということでした。子どもが考える読書とおとなの考える読書には大きなへだたりがあるし、「何かのために」と考える、頭の固いおとなの読書観がなんとナンセンスなことかとの指摘がありました。
さらに、絵本をとおして「子ども観の再構築の必要性」について語ってくれました。絵本をもとにおとなが変わっていける可能性がある、つまりいろりばたの昔話が、おとなは語りながら自分自身が楽しんだように、絵本を手にするおとなは、単なる与え手としてではなく、読者でなければならない、ということでした。 700人の中学生と「いないいないばあ」の絵本を楽しんだ経験から、絵本は、何才以上という制限はあっても、何才までという制限はない、子どもと同じ世界を共有できる力、子どものもっている世界を一緒に楽しもうとする姿勢が大事なことを、さらに語ってくれました。
 また、日本の絵本は歴史的には、いろいろなハンディキャップがあるけれど、漫画家やグラフィックデザイナーなどいろいろな人が入り込んでいるところがおもしろい、との指摘を聞くと、日本の絵本の未来は、何が飛び出すかわからない、まるでびっくり箱を開ける楽しみがあるようです。さいごに「本屋は文化事業、出版文化であって、出版産業であってはならない」との一言は、三輪さんのこれまで、そしてこれからを象徴的に語っていて、参加者ひとりひとりの胸に熱く届いたことでしょう。

(岩崎真理子)

 
● 「読書とクオリティー・オブ・チャイルドフッド」桂 宥子
最近の若者が、「死」に深く関心を寄せていることは、私のゼミで卒業制作に創作絵本を選ぶ学生の中にも顕著である。一方、バスジャックやストーカー殺人など、命を軽視した少年犯罪が多発し、国中を震撼させている。今やキーワードになりつつある「17歳」の少年たちがどのような「幼児期」を過ごしたのか注目がまている。
家庭内暴力の悲惨な結末も多々報告されている。私の体験では、出口の見えない辛い日々を乗り越えられたのは、「我が子には本をたくさん読んでやった」という確信しかなかったと思う。実際、今、北米では、家庭でも、学校でも、子どもに本を読んでやる「リーディング・アラウド・ムーブメント」が起こっている。子どもに本を読んでやることは、単に作品に触れるだけでなく子どもと親や教師とのコミュニケーションがはかられるという効用がある。
閉塞的な社会やいじめの横行する学校生活などが、若者の心に重圧を与えていることも推測されるが、殺人や命の軽視は、断じて許されるものではない。子どもたちの心の荒廃を防ぎ、彼らに命の尊さを教える具体的な方策はないものだろうか。
一連の少年犯罪により、子ども時代の大切さがあらためて認識されているが、まず、子ども時代の質、すなわち「クオリティー・オブ・チャイルドフッド」を見直す必要があろう。現代は子どもを取りまく環境が歪んでいる。学校生活はもとより、家庭でも食生活、家族のありかたなどを改善する努力が必要であろう。国も「クオリティー・オブ・チャイルドフッド」を充実させるための投資は惜しむべきではないと考える。
子ども時代は人生の出発点であり、人生の心の「故郷」を形成する大切な時期である。自分は「幸せな子ども時代」を送ったという満足感が、その後の人生の荒波を越える勇気とエネルギーとなる。人は幸福感を味わってはじめて、その対立軸にある悲惨さや残酷さの不快感を感じとれるのではないだろうか。
「幸せな子ども時代」を獲得する具体的な手段の一つに「読書」がある。子どもは、家庭で、学校で、地域社会で、「本」を通して「楽しい体験」を積むことが出来る。戦後、氷川小学校で素晴らしい読書教育を受けた私の子ども時代の至福は、面白い絵本との出会いであった。外国の例も取り入れながら、家庭、保育園、幼稚園、学校図書館、公共図書館で、子どもと読書を結び付けるどのような試みが可能か、具体的にみてみたい。
優れた絵本や児童文学作品は、どれも「生」を語っている。自然の驚異や素晴らしさ、その世界に生きる喜びや楽しさ、愛や思いやりの美しさを描いている。人間ばかりでなく、鳥や動物など掛け替えのない命がこの大地を共有していることも示している。
この不思議で複雑な世界に、いろいろな仲間たちと生きることは素敵なことなのだということを、感受性豊かな子ども時代に絵本を通して、ぜひ体得して欲しい。生涯、その子の中で深化し、成熟して、生きる力となるような優れた絵本に、1冊でも多く出会って欲しいと願う。
しかし、子どもだけでは、バラエティーに富んだ作品を知ることも、そこから優れた作品を選択することもできない。そこには、本と子どもを結ぶ大人が必要である。児童文学のプロと呼べる司書教諭や児童図書館員の育成が急務である。また、若い父母に向けた読書の啓蒙活動も大切であろう。カナダには生まれた時から絵本に親しんでもらおうと、母親と乳児に絵本を贈る「ボーン・トゥ・リード」という運動もある。
 
●『いのちを描く』(童心社)あとがきから 田島征三
「近年、田島征三の仕事は、ますます自在になり、しだいに深い抽象性を獲得してきた。田島征三の絵の中で、ヒトもバッタも大根も雑草も、生命あるすべてのものが肉の哀しみと喜びを共有しながら、存在の深部で通じ合う。彼らの実在に限りなく同化した画家のまなざしを通して、画面はいつしか、生命というたおやかな抽象そのものへと転化されていく。田島征三の目に映るのは、茶色のバッタや紫色のつる草などと、十把ひとからげに呼ばれるようなものでなく、それぞれの生命の内部から発光する深く充実した色彩と、それを包むプリミチーフで勁い生命のかたちそのものなのだろう」
堀 愼吉「生命の深い輝き」
 
●「こども 絵本 いのち」 三輪 哲
国の読書推進事業「子ども読書年」、「いいことですねえ」とりあえずこんな感想を持ちます。「でもねえ・・・」これが次の言葉として出てきます。子どもたちが自分の気持ちを的確に表す言葉を持っていたら、同じように言うのではないかなあと思います。
子どもの本って大人のフィルターを通らなければ、子どもの前に現れません。本をつくる、流通に関わる、読書環境を整えたり読書運動に携わる、皆、大人です。だから二の句として「でもねえ・・・」が、どうしても出てきてしまうのです。そんな視点から問題点をチェックしてみようと思います。
「でもねえチェックその1」子どもたちが抱きしめて離さない本をつくっていますか、子どものものだからと、手抜きなどしていないでしょうね。子どもの目はとてもピュアで厳しいものです。
「でもねえチェックその2」全国の市町村で図書館のないところは約半数、本屋のないところは二十八パーセント。物理的に子どもの手に届く手段は思いのほか少ないのです。その上、一般の本屋さんの棚では、子どもの本占有率は三パーセントを切っていると言われています。これでいいのでしょうか。
「でもねえチェックその3」本屋や図書館での子どもの本の選択権はどうなっていますか。大人の価値観で子どもに本を無理強いしていませんか。私の店でも一冊の本を巡って、大人と子どもが争っているのを毎日見ます。学校では読書指導という大義名分のもとに、感想文が強要され、その上コンペティションに仕立てられたりしています。
たった三つのチェックポイントなのに、子どもの「見る、聞く、知る、学ぶ」自由はけっこう狭められています。これらは皆、大人の問題です。大人の「子ども観」に委ねられていると思うのです。
「子どもが本を読まなくなった」と、言われ始めてどのくらいになるでしょう。もう言わないで、聞きたくない、これが正直な気持ちです。「子どもは(人間は)元来お話の世界が好きなものなのです」、もうひとつの世界を生きているのです。読書をしている時の子どもの輝く顔は、それを見事に実証しています。
「子どもの笑顔を消さない」、こんな「子ども観」を持てたらいいですね。