絵本学会

2001年 絵本フォーラム

『絵本フォーラムユ01』が、去る8月25日(土)世田谷文学館において開催されました。
 このフォーラムは、本学会の発足後、その活動のひとつの柱として毎年企画されてきた催しですが、東京では通算5回目の開催となります。今回のテーマは “絵本とことば”。絵本を<絵とことばをトータルにデザインした表現>としてとらえ、今回はとくに「ことば」の側面から考えてみようという試みでした。
 絵本の詞作家の内田麟太郎さん、絵本翻訳家の前沢明枝さん、児童教育者の今井和子さんをお呼びして、<絵本のことば・絵本とことば>について、さまざまな視点から、例によってワイワイガヤガヤと意見を交換する機会となりました。夏休み末の開催で、会員の方々へのインフォーメーションも不足したためか、参加者は60名ほどの少人数に留まりましたが、会場では活発な意見が飛び交い、熱気溢れるものとなりました。
 内田麟太郎さんは、『さかさまライオン』(長新太絵)、『うそつきのつき』(荒井良二絵)、『がたごとがたごと』(西村繁男絵)など、注目の絵本のことばを次々と手がけられ、最近では「絵詞作家」と自称して、絵本表現におけることばと絵の関係について斬新な考えを示されています。前沢明枝さんは、言語学の視点から翻訳絵本のことばに潜む文化や民族性の問題などについて研究する一方、『アイラのおとまり』など人気絵本の翻訳を手がけておられます。今井和子さんは、長年にわたって保育者としてこどもたちと接し、絵本を読み語りしてきた豊かな経験に基づいて、『こどもとことばの世界』について研究を積んでこられました。
 第1部[話題の提示]では、この3人のゲストの、それぞれのフィールドから話題が提示されました。以下に、発言要旨をまとめたものを掲載します。

(香曽我部秀幸)

 
●〈創作の場から〉 内田麟太郎さんのレジュメ
あら あら  絵・川端理恵 文・内田麟太郎
1 おおきな おおきな たまごです   7 でっかい でっかい 
                      おまんじゅうです
2 きっと おおきな ひよこだな    8 きっと おおおとこが
                      たべるんだな
3 あら あら             9 あら あら
  あら あら               あら あら
  おおはずれ               おおはずれ
4 ながい ながい おうちです     10 おおきな おおきな
                       みずうみです
5 きっと だいじゃの おうちだな    きっと おおきな さかな
                     がいるんだな
6 あら あら             11 あら あら
  あら あら               あら あら
  おおはずれ               おおあたり
                    12 
                    (片ページ・ことばなし)
 
●〈翻訳の場から〉 前沢明枝さんのレジュメ
1. 翻訳の言葉
 1) 翻訳について
   メTake him,モsaid my mother.
   メTake him,モsaid my father.
   メBut Reggie will laugh,モI said.
   メHeユll say Iユm a baby.モ
   Bernard Waber, Ira Sleeps Over (Boston:Houghton Mifflin Co.,1972)より
 2) 翻訳者の仕事
 原 作 者   ⇒   翻 訳 者   ⇒   日本の読者
    ・ 理解:読者としての理解/翻訳者としての理解(原作者の意図)
    ・ 変換:原作を日本語へ変換/言外の意味,推論されうる意味等の変換
    ・ 確定:作品として読みうる文章へ
2.翻訳絵本の言葉
 1)読む言葉・聞く言葉
    ・絵本というメディアに見合う言葉(書記言語)
    ・聞いてわかる言葉
 2)絵で語る・言葉で語る
    ・絵を読む楽しみ
    ・絵に語らせる言葉
 3)見開きの完結性
    ・見開きごとの談話の分野*
   *M.Halliday,A.McIntosh,and P.Strevens,The Linguistic Sciences and Language
   Teaching(London:Longman,1964)およびB.Hatim and I Mason,Discourse and the
   Translator(New York:Longman,1990)参照.
 4)文化を超えた作品としての評価
    ・国民性
    ・社会状況の変化
3.まとめ:原作者の言葉・翻訳者の言葉
 [取り上げる絵本] 
 『モンスター・ストーム-あらしがきたぞ』(ジェニー・ウィリス文/スーザン・バーレイ絵/ほるぷ出版/1996)
 『あそびに きてね』(バーナード・ロッジ文/モーリーン・ロッフィ絵/文化出版局/1996)
 『アイラのおとまり』(バーナード・ウェーバー文・絵/徳間書店/1997)
 『ねこがすき、くまがすき』(キャロル・グリーン文/アン・モーティマー絵/徳間書店/1998)
 『かぜがふいたら』(ルース・パーク文/デボラ・ナイランド絵/朔北社/1999)
 『シンプキン』(クエンティン・ブレイク文・絵/朔北社/1999)
 『にたものランド』(ジョーン・スタイナー文・絵/徳間書店/1999)
 『夏のねこ』(ハワード・ノッツ文・絵/徳間書店/2000)
 『ふとっちょねこ』(ジャック・ケント文・絵/朔北社/2001)
 
●〈読み語りの場から〉 今井和子さんのレジュメ
[1] 愛情で育つ聞く力…マザリーズと絵本のことばの共通点
 乳児がことばを獲得していく時のコミュニケーションの特徴は、自分の世話をしてくれる特定の大好きな人のことばを聞くことから、養われることである。それは誰のことばであっても、ことばであればよいという問題ではない。(「ことばと発達」岡本夏木)
乳児によびかけるおとなのことばは、声のスキンシップ、すなわちマザリーズと言われ、音楽のような心地よさがある。このマザリーズの特徴をあげながら、絵本のことばとの共通点、すなわち快いことば体験こそ、感受能力およびコミュニケーション能力の源であることを論述する。
 
[2] 子どもが好む「絵本の中のことば」
ア) リズム…2拍子(心臓・鼓動)
イ) 韻をふんだもの(ひびき)
『かもさんのおとおり』ジャックとマックとワックとカックは…
ウ) 繰り返し…語(感)そのものが繰り返されて、心地よい意味の意外性
エ) よびかけことば(かけあい)   
『かにむかし』岩波子どもの本 かにどん かにどん どこへいく!
オ) 頭のトンネルにひっかかることば
『おおかみと七匹のこやぎ』福音館書店
          ありさまをみたことでしょう 
『3びきのこぶた』 めっそうもない
カ)音のことば(擬音語、擬態語)
『きかんしゃやえもん』岩波子どもの本
 
[3] 詩・子ども・絵本…“こどもの存在自体が詩”(谷川俊太郎)
・内面にひそんでいることばを、外におくりだす躍動の力をもったことば
(例)『おなかのかわ』福音館書店
・アニミズムのことば  3歳児のことばと金子みすずの詩
・ことばをあそぶ…『あいうえおってどんなかお』『ちもちも』アリス館
・比喩造語
・リズムと韻と繰り返し
  「おかあさん、かぜさんがね ほんめくって読んでたの
はいみた、はいみた、はいみたって ぱらぱらぱらーって、ぜーんぶみて
みたよって どさっとおちたの そしてね、また めくったんだよ」なな(5歳)
《さいごに》 絵本のことば=内言 を豊かに
       内言とは? 日ごろ話している他者のことばが内化されて、もう一人の自分になって語りかけてくれる→自律を育むことば
       「広島の人は… 」 ゆたか
       生きる力のあることばを!
 
 これらのレジュメで大体のことはお分かりいただけると思いますが、内田さんに関しては多少の補足が必要でしょう。この「ことば」は、来年出版予定の『あらあら』という絵本の「文」なのですが、まだ絵が出来上がっていない段階で、内田さんのことばのイメージの世界にはどんな具体的な映像が浮かび上がってきているのかという、きわめて興味深いお話でした。ことばと絵のそれぞれの作家が1冊の絵本を作り上げていく、いわば「コラボレーション」の場として絵本を捕らえている内田さんの「テキスト作法」には、今後の絵本表現を大きく広げる可能性が秘められていると感じられました。
 
第2部[談話サロン]では、3つの部屋に分かれて、それぞれのゲストを身近に囲んで、自由に発言や質問が投げかけられました。その様子を各部屋の司会を担当した企画委員に報告していただきます。
 
●<内田麟太郎さんの部屋>からの報告 岩崎真理子
 自らを、絵詞作家と称する内田さんの部屋には、30名近くの参加者が集まり、自由に内田さんに質問を投げかけ、それに答えてもらう形で始まりました。幼い子どもからおとなまで多くのファンを持つ内田さんですが、「子どもの視点で語られているような作品が多いように思うが、子どもを意識してテキストを考えているか」との質問に対して、自作の『おおきなおおきなたまごです』を例に、‘おおきなおおきな’のくりかえしのことばのリズムなどは、無意識のうちにでてくるし、本能で書いているからおもしろい。子どもはお客さんという感じもあるが、子どもが可愛く思えるのと同時期にそう変化してきたような気がするとのこと。また、「木が好きだから自然破壊などを取り上げて木が大事ということを訴えるような絵本を作りたいのだが、どうしたら…」という質問には、内田さん自身の体験をもとに、ヒマから生まれた自称「コタツ三部作」を例に作品誕生の秘密を語ってくださいました。
コタツに入って寝転がってぽわーっとしていると、天地が逆に見えてきて『さかさまライオン』が生まれたり、コタツのふとんが波に見えてきて『うみのしっぽ』になったりと、ヒマでぽけーっとしている、つまり日常生活からかけはなれたところからの発想だと。内田さんの作品にある、すんなりと自然に作品世界に入っていける気安さの魅力の秘密を聞いたような気がしました。
 後半は、未発表の作品を紹介しながら、ご自身の絵本論をいろいろな形で話してくださいました。たとえば、テキストを創るとき、その画家でしか描けないようなテキスト「オンリーユーのテキスト」を考えることや、絵本の中にある「間」や「呼吸の仕方」への心配りの数々。また絵本の中には、排除の美学とも言えるような美しいものだけを描いたものも多いが、すべてきたないものまでも描きこんだ絵本の世界について、片山健、飯野和好などを挙げてその魅力を語られました。
 最後に、「昔は思想の人間だった、しかし思想がいきつく恐ろしさを知ってしまった。おとなは思想がないと不安で立っていられないけれど、子どもは違う。ナンセンスが子どもはわかる。ナンセンスは戦わない。階級がないし、ユーモアによって男女、おとなと子どものくくりを超える。絵本づくりにノウハウはない。メッセージを直接発するのは恥ずかしいが、しかしデジタルでは出している。」など、「内田麟太郎の語る絵本世界」に、参加者全員が魅了された楽しいひとときとなりました。

(いわさき・まりこ 企画委員)

 
●<翻訳の部屋-前沢明枝氏>からの報告  川西芙沙
 翻訳の仕事をしている人、翻訳家志望の人、編集者、幼児心理の専門家、絵本愛好家などが参加し、各自自己紹介の後、前沢氏が翻訳した絵本を紹介しながら、それらの本にまつわる体験談を具体的に話し、その後、質疑応答の形で“翻訳”がさまざまな面から取り上げられ、話し合われた。翻訳者の役割、翻訳の在り方、翻訳する本の選書の仕方、絵本に見る各国間の文化の相違などに質問が寄せられた。前沢氏からは、一見不気味で、ユニークな絵の絵本『かぜがふいたら』の場合、編集者の立場からは「日本人向けではないのでは?」という危惧が示されたが、絵の好みは各人各様であるし、子どもには可愛くて、やさしいものをという大人の先入観を超える勇気が編集者には必要であると説得し、翻訳出版が実現したこと。翻訳する本は、自分の判断で良否を決めること。
『シンプキン』の場合、原作は数を数える類の単純な内容の本だったが、訳で主人公のシンプキンに存在感を持たせ、結果として本にストーリー性と生き生きした味わいが備わったこと。などの説明があった。翻訳者はコミュニケーターの役割を果たすもので、裏方でなければならないが、原書の絵や文章をしっかり読み込んで、作者の真意をつかみ、それを日本人によく伝わるように作り変えることが大切である、との指摘には、翻訳を言語学の一つのカテゴリーとみなす前沢氏の姿勢が感じられた。時間の制約もあり、絵本の翻訳の特性、絵で語る部分と言葉で語る部分の相関性、意訳など、もう少し問題を絞り込んでの話し合いまでにはいかなかったが、これから本格的に翻訳を始めようと志している人たちには実り多い機会だったと思う。幼児心理学で教鞭をとっていた参加者からは、外国の絵本では家族の情景を大切にし、父親がきちんと描かれている。日本の絵本にも父親をもっと登場させる必要があるのではないか、との発言もあった。

(かわにし・ふさ 企画委員)

 
●今井和子の部屋
子どもにとって絵本とは何かというテーマを、絵本のことばにこだわって考えてみようという第一部の今井報告「絵本とことば」を受け行った。参加者は幼稚園教諭、保育士、図書館司書、地域文庫や小学校で語り(「読み聞かせ」「聞き読み」「読み合い」などの呼称があり学会での議論も必要だが、ここでは「読み語り」統一した)ボランティアをしている人12名。日頃の体験をふまえた活発な質疑が交わされた。
 最初の自己紹介を兼ねた読み語りの実践報告では、歌を交えたり、人数が多い場合にはペープサ-トや大型絵本を使うなどの工夫をしている例が報告された。読み語りを通して、子どもたちが作品世界に入りこみ、夢中になって聞き耳を立て、体全体で喜びを表現するのが実感として分かり、ますます語りの魅力にとりつかれていったという参加者が多かった。一方で、絵本に集中できない子どもの絵本離れが心配であるという超え、読み語りのボオランティア希望の参加者からは信頼できる案内書や気楽に相談できる場が意外に少ないという超えもあった。今井氏は、子どもの教育という観点からではなく読み語りを通して楽しみながら絵本や言葉の魅力、おもしろさを伝えてほしいとアドバイスした。
今回のテーマでは必ずしもないが、書店勤務の参加者からは、子どもが図書館でかりた本を選ぼうとすると、「それはもう読んだでしょう」、文章の少ない絵本を選ぼうとすると、「もう大きいんだからもっと文章の多い絵本にしなさい」と言っている光景をよく目にするとの発言があり、絵本に対する理解はまだ不十分であるとの思いを強くした。
次に、子どもが好む「絵本の中のことば」として整理されたリズム、韻をふんだもの、くり返し、よびかけことば、頭のトンネルにひっかかることば、音のことば(擬音語、擬態語)を基に、読み語りで子どもが好きな絵本とその特徴について意見交換をした。導入部分で歌を交えながら読む「できるよできるよ」(エリック・カール)、折り紙を取り入れた「坊さまとカラス」、小さくたためるので出掛ける際に持って出て、子どもがぐずった解きに使える「ピーター・ラビット」の布芝居、大人に受け入れられる前にいち早く子どもに人気になった「サル・ビルサ」(スズキ・コージ)や「タンゲくん」(片山健)、「もこもこ」「ことばあそびうた」(谷川俊太郎)なども次々に紹介された。
 子どもの好きなことば遊びの絵本については、子どもはことばの意味だけでなく、リズムや響きに敏感に反応する例も紹介された。一般に大人は絵本をことばを通してストーリーだけを追うきらいがある。一方子どもは一生懸命に見入り、絵から物語を読み取ろうとし、大人には読み取れない(見過ごしがちな)世界を教えてくれることが少なくない。今井氏はここにも大人と子どもの絵本の見方の違いがあると指摘した。
 最後に、最近の子どもたちの絵本の読み語りへの反応の変化と原因、今後の対策について議論が交わされた。長年に亘って読み語りをしている方から、じっと聞いていられない子ども、おかしい場面でも笑わない子ども、少し長い話になると集中して聞けない子ども、目を見ない子どもなどの例が報告された。これらの子どもの変化が脳科学者が指摘する核家族化、少子化、都市化、父性・母性の希薄化による大脳の活動水準の低下が原因だとすると問題の解決を個々の家庭にゆだねるだけでは不十分である。図書館や地域文庫に来る親子は、両親自身が小さい頃読み語りの楽しかった思い出を持っている場合が多い。こう考えると両親が絵本に触れることの少ない子どもたちへの取り組みがあらためて重要な課題として浮上してくる。議論はブックスタートの話題に及んだが、この問題は絵本学会でのラウンドテーブルでの議論を前回ニュースで報告したのでここでは省略する。
今井氏の重要な問題提起がありながら、時間の関係で議論できなかった、「日ごろ話している他者のことばが内化されて、もう一人の自分になって語りかけてくる」ことば=内言について、アニミズムのことばの意義、子どもの発達にとって絵本の持つ意義を脳科学や発達心理学の研究をふまえて明らかにする課題、子どものいじめ、自殺、校内暴力、学級崩壊、援助交際など現代日本にま蔓延している社会的病状の原因究明と幼児期の絵本や子守唄の果たす意義についての検討は今後の課題としたい。

(生田美秋/運営委員)

 
 第3部[座談会]は、再び一つの会場に戻り、ゲストからは第1部で言い残したことが補足され、参加者からは質問・疑問が投げかけられる場となりました。
 今回のテーマでは、「絵本表現の重要な要素としての“ことば”のあり方」、「翻訳絵本における絵とことばの表現のずれの問題」、「読み語り・読み聞かせの場におけることばの役割」などについて考えることを目標としていましたが、話題は尽きることなく四方八方に跳び、何かまとまった結論を導き出すには至りませんでした。でも参加者の多くからは、[楽しい時間を過ごせた]との声をいただきました。
 もとよりこのフォーラムは、明確な結果を出すべき場ではありません。ただ言いっ放し、やりっ放しに終わらず、今後も同等の関心を持続させ、話題を深化させていく姿勢が必要であると感じています。
 企画委員会では、今後も絵本フォーラムを継続して開催していく予定でおります。絵本学会会員の皆様の一層の積極的参加を待ち望んでおります。

(こうそかべ・ひでゆき 企画委員)