絵本学会

絵描きさんは決まっています
もとしたいずみ

 私のような文章書きの場合、「絵本を何かイッパツよろしく!」と頼まれてテキストを書き、出来上がったところで「さて、絵はどなたにお願いしましょうか?」となるのが通常パターンである。
 しかし最近、あらかじめ絵描きさんが決まっているケースが増えているような気がする。それは私だけなのか、全体の傾向なのか、単なる気のせいか、よくわからないのだけれど……。
 前に一度、仕事をご一緒した編集者が「絵は竹内通雅さんで、時代物のテキストを」と言って来た。そこで、ひかりのくにの月刊誌『おはなしひかりのくに』用に『ごぞんじ! かいけつしろずきん』という時代活劇のテキストを書いて送った。
 後日、竹内氏から「時代設定は江戸時代? 資料、持ってたら貸して」と電話があった。いざ、ちょんまげを描こうと思ったら、どうもうまくいかない。調べてみると、ちょんまげにも、時代や身分によっていろいろあるらしい。初ちょんまげ、しかも初時代物だというので、江戸の長屋あたりだと深川資料館を見学するのも良さそうだなあと思った私は、打ち合わせを兼ねて、江戸ツアーを企画した。
 大阪からやって来た編集者を東京駅まで迎えに行った竹内氏(担当が若くてかわいい独身女性だったのである)と待ち合わせて、まずは創業嘉永元年、現存する最古の寿司屋、ただし値段は庶民的な店でお得なランチセットを食べて、文化元年創業の煎餅屋にて、お茶を飲みつつ、竹内氏の描いた絵コンテ(これが素晴らしい!)を囲んで打ち合わせをする。その後、深川江戸資料館で裏長屋の風景を取材し、時代物専門の書店で資料を立ち読みし、仕上げに明治13年(惜しい!)創業の老舗蕎麦屋で蕎麦をすするという、費用も長屋住まい価格というか、児童書出版的(!)なものにした。
 編集者を送りがてら東京駅で解散した夕方、ふと「私は一体、何をやっているんだろう?」と思ったものの、作品全体のイメージを共有するための、なんと充実した一日であったろうかと満足感をがっつりと味わった。それに絵本作りはチームワークでもあるので、結束力を高めたり、親睦を図ったりするのは大切だと思っている。というか、楽しいではないか!
 その後「またもや竹内氏で時代物」というリクエストが来た。今度は「『閻魔の失敗』という民話をアレンジせよ」という要請だった。デリケートな民話の世界。しかもアレンジなんて大丈夫? と、心配だったので、とことん調べてもらい「問題なし」との結論。安心して取り組んだ話は『じごくのさたも うでしだい』という作品になった。このときは打ち合わせを兼ね、同じメンバーで「閻魔像」と「地獄絵図」を見に行った。ちなみにこの日、竹内氏による「東京駅まで編集者お迎え」はなかった。編集担当が地元の同級生と婚約したことと関係があるかどうかは知らない。
 本画の途中、竹内氏が「こんな閻魔じゃだめだ~!」と全てを破り捨てたと聞き、ドキドキしたが、どどんと現れたニュー閻魔さんは、ぶっとびキャラで大笑いした。文章書きもそうなのだが、あんまり調べてしまうと、そこから抜け出すのに苦労する。資料は資料として消化吸収したら、別の引き出しにしまいこむ方がいい。
 そして三度目の依頼は「お馴染み竹内氏で時代物。お正月の遊びをテーマに」という三題噺みたいな注文だった。えーと、このときは確か軽く打ち合わせをした程度だったかな? これもまた関係性は定かではないが、担当編集は幸せな結婚をし、まもなく妊娠して退社が決まり、担当が突然、男性になったのだった。いや、竹内氏の名誉のために言うが、だからといって作品のレベルは変わらない。それどころかますますパワーアップしているくらいだ。
 三作目は『おいらはこまたろう』という作品となり、この竹内&もとしたの三作は、誰も知らない名作三部作として、まだ単行本にもならずにひっそりと眠っている。
 さて、あらかじめ絵描きさんが決まっている、と言っても、さまざまなケースがある。
 『めかくしおに』(もとしたいづみ文/たんじあきこ絵。ほるぷ出版)は、『春はあけぼの』(ほるぷ出版)の、たんじあきこさんの絵がとても素晴らしく、再びたんじさんの和物絵本を作りたい! という編集者が、彼女の友達でもあるもとしたに協力願いたい、という依頼だった。
 これは、たんじさんの1枚のポストカードを見て、私がプロットを書き、それを読んでたんじさんがイメージ画を描く。そこから私が話を膨らませて、書いては消して、書いては消して…できあがった作品である。
 『トランとブッチのぼうけん』(もとしたいづみ文/あべ弘士絵/ポプラ社)は当初、あべ弘士作絵の絵本だったが、締め切りに間に合わず「どうすんのよ!」と問いつめられたあべさんが、苦し紛れに「絵はバリ島で描いたスケッチがあるし…文は、も、もとしたが書く」と口走ったせいでやってきた仕事だった。もちろんバリ島でのスケッチは、ヒントにはなったが1枚も使えない。あべさんだって先刻ご承知だったろうが、絵本はそんな甘いものではない。
 『チョコレータひめ』(文・もとしたいづみ/絵・樋上公実子/教育画劇)は、しょっちゅう、おいしものを食べに行く樋上さんと、評判のタルトを食べているとき「個展に合わせて絵本を出したいの」「あら、いいじゃない!」「だけど文章がなかなか書けないの。書いてくれない?」「いいよ!」というわけで出来上がった絵本だった。
 タブロー画家であり、初めて絵本にチャレンジする樋上さんが、どうすれば楽しく、気持ちよく描いてくれるかを考えることは、親しい友人として、一緒に仕事をする者として当たり前なことだ。個展で販売する絵としても条件を満たしていなくてはならないし、油絵の原画がいきなり全作並んだときは、その豪華さに興奮し、文章スペースを見つけるのに必死だった。
 
 こうして書いてみると、私は人脈だけで仕事しているのか? と不安になってくるが、気を取り直して考えてみたい。絵描きさんが決まっている絵本は、オーソドックスな場合と、どう違うだろう?まず、何もないところから話を作るよりは、考えやすい。でもその分、制約があり、不自由とも言える。テキスト→絵、という一方通行より共同作業感が強くて楽しい。それに料理人が作りたいものを想像し、あれこれ食材を見繕ってキッチンに置いておくような感覚も面白いのかもしれない。楽しげに料理に取りかかったなど、状況を編集者から聞き、ときには味見をさせてもらい「おいしい!」と感想を言う。ますます腕を振るう料理人。出来上がった料理を一緒に味わい、おいしいよね?おいしいよね? と完成を喜び合う楽しみ。
 あんまり吹聴するのも気がひけるけれど、これはちょっと得難い快感なのである。